「GENKYO横尾忠則」展印象記

著 宮崎 興二 

 今、世の中、どこへいってもコロナ、コロナですが、新聞や雑誌で見るそのコロナの記事を、コロナとは何の関係もないような横尾忠則画伯がしばしば飾っていることにお気づきでしょうか。画伯デザインの、アカンベーの絵を印刷したマスクをしている若者もときどき見かけます。このマスクは風変わりなおもちゃ売り場などで売っていますが、そんなおもちゃ売り場ではときどきゾムツールも目にします。つまりゾムと横尾作品とは接点があることになります。

 といっても、幾何学とは無縁のようなサイケデリックな横尾作品と幾何学一辺倒のゾムは、一方は極端な人間的芸術作品、もう一方は極端な機械的科学作品として、正反対の雰囲気を持っています。したがってゾムクラブの会員の多くは、横尾作品に違和感を感じているかも知れません。実は、クラブの会長を引き受けている私も、以前はそのような一人でした。が、今は少し違う見方をしています。

というのは、もともと私は、純粋に幾何学的な4次元の図を描いたり模型を作ったりするのが自慢で、そのため純粋に幾何学的な4次元の模型を作ることのできるゾムに夢中になりましたが、じつはこの4次元こそ幾何学と横尾作品をくっつける強力な接着剤になっていることに気づいたからです。

 ゾムが売り出され、幾何学の救世主コクセターやノーベル賞受賞者のペンローズあるいはシュヒトマンらに注目され始めた1990年ごろのある日、ある人の紹介で、私は、横尾画伯と4次元の図について意見を交換したことがあります。画伯の幾何学とは無縁の非現実的・超自然的な作品に漂っている3次元を超える高い次元の空間の雰囲気と、当時の私の、4次元の幾何学を媒介にして3次元の風物から類推される4次元の風物の絵を描く趣味がどことなくマッチして、話は弾みました。が、やはり幾何学との関係の有無が大きなネックになり、そのときは互いの考え方を披露し合うのみに終わりました。

 それから30年後の2020年、いろいろな4次元ニュースを手に入れた私は、「4次元図形百科」という本を出し、昔話として横尾画伯が4次元に関心を持たれていたことにも簡単に触れました。同時にたまたま、画伯の故郷である兵庫県西脇市の画伯の記念館ともいえる西脇市岡之山美術館で半年間にわたる4次元作品展を開く機会にも恵まれました。こうして30年間の空白期間を経て、今度はオンラインで多少深い見方を交換し合うようになったのです。

 じつは「4次元図形百科」の歴史篇でも紹介したことですが、欧米の美術史家の調べによると、抽象画の草分けであるピカソのキュービズム(通称キュビスム)の出発点には、フランスの数学者が工夫した4次元の多面体の図があるそうです。そこでは3次元の透視図は通用しません。ピカソは、その図の上に、世話になった人の肖像画を目鼻の配置やかたちを崩しながらむりやり重ね描きしたようです。当時のセザンヌの、3次元の物体はすべて幾何学的な球か円柱か円錐の中に納まる、という教えを4次元に拡張したのでしょうか。アインシュタインが4次元時空の考え方を発表して科学界が大騒ぎしている最中のこと、いかにもありそうな話です。その影響で、もともとキュービズムに加わっていたデュシャンは、4次元の世界を表しているという「大ガラス」を残したり、4次元図形の作図法をまとめた「表象の美学」という本を出したりしています。またダリは、現代の幾何学的建築家B.フラーの4次元建築を絶賛したり、高次元幾何学の大御所T.バンチョフと交流して4次元立方体の展開図を使ったキリストの磔刑図を描きました。

 こうした機械的な幾何学に裏打ちされたピカソやダリの4次元的超現実的な風景が、横尾作品では幾何学の束縛から離れて自由自在に描かれているとはいえないでしょうか。ここには、何かと幾何学的な理屈をつけようとする西洋の考え方とは一線を画す幾何学とは無縁のわびさび幽玄の日本特有の考え方に基づく4次元の姿が現れているとはいえないでしょうか。

 そうしたユニークな4次元を見せる横尾作品を集大成した「GENKYO横尾忠則」展が、今年から来年にかけて各地で開かれます。GENKYOというのは横尾画伯の過去から現在までを通観する「原郷」「幻境」「現況」を意味します。すでに神戸には故郷を記念して巨大な横尾忠則美術館ができ、香川には民家風の魅力的な豊島横尾館があって、そこへ行けばいつでも横尾作品を楽しめますが、コロナを圧倒するばかりの横尾人気は、それだけでは追いつかないようです。

 添付の図は展示作品の一部です。今開かれている愛知県美術館の場合、会場には過去から現在に至る、数え方によっては数千点かもしれない、膨大な数の作品が、広大な会場に極めて幾何学的に整然と配列されています。万華鏡のようなコーナーもあって、幾何学が横尾作品を陰で支えているといった感じです。

 もちろん大切なのはそうした場内構成ではなく、個々の作品の内容で、一人の人間の5歳ごろからほとんど80年間の、喜怒哀楽が入り乱れる毎日の心の中を、おそらくは隠すことなく正直に、虹に浮かぶようなあるいは夢のようなまさに4次元的な絵で見せてくれます。そこには幾何学的な西洋風でなく非幾何学的な日本風の心の中の4次元が広がっているとしか言いようがありません。

 それ以上の各作品の内容については個人情報に関係するのでマル秘とします。

「GENKYO横尾忠則:原郷から幻境へ、そして現況は?」展

愛知県美術館   2021年1月15日から2021年4月17日まで
東京都現代美術館 2021年7月17日から2021年10月17日まで
大分県立美術館  2021年12月4日から2022年1月23日まで